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1月4日。 明日から仕事始めだな、と毎年の事ながら憂鬱になる日。 この日も例年のように憂鬱に始まるはずだった(続いてます)が 朝、携帯電話の鳴る音で目覚めた。 一昨日帰ってきたばかりの実家からの電話で さきほど祖母が亡くなったとの連絡だった。 年末に食べ物を喉に詰まらせてから弱っているとの話を聞いていた 正月に入院している病院を見舞ったときには それでも曾孫の着物姿を目で追うしぐさを見せ 何度もの危機を乗り越えてきた祖母のことだからまだまだ元気なんだろうと 思っていたところだった。 確かに昨年の正月のように私の名前を呼ぶこともなく、 目にも力がなかったのは気にはなっていたのだが。 4日は斎場やお寺の連絡に手間取ったようで一日実家からの次の連絡を待ち続けた。 いつでも和歌山に向けて走れるように喪服を取り出して色々な準備だけは済ませておいたのだが 正月休みとは言え人はいつものように亡くなっていくものであり この日は特に斎場やお寺が忙しく翌5日に御通夜、6日に葬式と言うことになった。 5日の通夜は当然夕方からの準備になる為、初出で会社に出勤し 午前中にあわただしく得意先へのあいさつ回りを済ませた。 午後からは忌引きさせてもらい家族を車に乗せて阪和自動車道を和歌山に向かう。 祖母の通夜葬儀は故人の意思もあり全くの近親者のみで執り行う。 祖母から見て子、孫、曾孫 計7人のみのひっそりとしたものだ。 もちろん自宅を使用すると近所にまるわかりなので斎場を利用する。 和歌山城のすぐ近くにある元々は結婚式場だったのが採算が合わず 一転葬祭センターになったという驚くべき節操の無さを誇る会場である。 通夜もお寺さんと7名のみでひっそりと行なわれ この夜は孫3人、私と妻と妹で朝まで故人をしのぶ事になる。 もちろん素面で朝まで起きているなんてことは考えられず よく出来たロケーションにある葬祭センターで玄関を出るとすぐ隣がセブンイレブンだ。 ここでツマミと黒糖焼酎を買い込み祖母の話をしながら飲み明かすことになる。 祖母は1902年 明治35年の生まれ。 日英同盟が結ばれ八甲田山雪中行軍が行なわれた年であり この2年後日露戦争がはじまる。 ※全く関係の話だが 人頭税の廃止が1903年 祖母の生まれた翌年とはあらためて驚きである。 まだ武家のしきたりの残る家に産まれた祖母は世間で言われる明治の女を そのままあらわしたような人で わがままな祖父によく仕えた人だった。 私は初孫でもあり また中学校を卒業するあたりから両親とは一緒に住まず 祖父母の家に下宿して 4年間一緒に暮らした事もあり大変可愛がってもらった。 気位の高く厳しく、しかしやさしいひとだった。 84歳で祖父が亡くなったとき祖母は2年だけ気侭に暮らさせてもらいます、と言って 一人暮らしを始めた。 もちろん食事の世話やもろもろは家が近いこともあり母が世話をしたのだが 父が一緒に住もうといっても頑として聞き入れなかった。 確か97歳まではひとりで暮らしていたのではなかろうか。 実家では元旦に家族集まって食事をする習慣がある。 その頃、もう足元が相当おぼつかなくなった祖母を迎えに行ったとき 玄関のたたきでなかなか草履が履けないので履かせようと手を出しかけたら ピシャリと叩かれたことがある。 さすがに体が弱ってからは母や叔母の家に身を寄せて暮らしたのだが 本人は忸怩たる思いだったのかもしれないと思う。 祖母は健啖家で自分の意思で食事を取れる間は好物がビーフステーキ 中華料理も大好きで私の帰省時には海老のチリソース煮をリクエストした、 それも豆板醤をしっかり効かせた激辛バージョンだった。 あの小さな体のどこに入っていくのだろうかと不思議に思うほどよく食べた。 晩年は病院のお世話になり意識も混沌としていたのだが 惚けて迷惑をかけることもまったくなく見事に生ききったように思われる。 母と叔母が毎日交互に朝の食事を取らせるために病室に行くのだが 律儀な祖母は4日の朝も叔母が病室に顔を出してから眠るように息を引き取ったそうだ。 通夜の夜から線香の火を絶やさないように気をつけて6日の朝を迎える。 午前中は何もすることがないので交互に仮眠をとって過ごす。 1時からは葬式だ。 ここでも僧侶と家族7人だけで執り行い出棺、火葬場に向う。 この日に初七日も済ませておくことになり、夕方と言うにはほぼ夜に近い時間に法要を済ます。 夜、斎場を後にする。 おばあちゃん、104年間お疲れ様でした。 おばあちゃんにとって どんな人生だったのか、 一度聞いてみたかったな。
by dakkarayo
| 2007-01-07 09:34
| だっからよー
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Comments(15)
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匿名希望
at 2007-01-07 15:00
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まずは、おばあ様のご冥福をお祈りします。
104歳の大往生とのことですが、日露戦争前の生まれとは、 まさに近代日本の激動の一世紀を生き抜かれたんですね。 僕は祖父母は既に他界していますが、 晩年期に若い頃の話を聞く機会がありましたが、 そのドラマチックな内容に心底驚きました。 想像もつかないほどの苦労話もあり、 そんな中で僕の親を生み育ててくれ、 そして今の僕があることに感謝した覚えがあります。 自分も含め後に残った家族ががもっと幸せになることが、 最大の恩返しであり、そして供養ではないかと思います。
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ちかねぇ
at 2007-01-07 17:18
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もうこれでべっちーさんからおばあちゃんのお話を聞くことがなくなるんですね。
104歳、見事な人生だったと思います。 多分もう私も含めてこんなに長生きするとこは出来ないでしょうね。 あやかりたいものです。 ご冥福をお祈りします。
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のがっち
at 2007-01-07 21:23
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dakkarayo at 2007-01-07 22:09
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dakkarayo at 2007-01-07 22:11
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dakkarayo at 2007-01-07 22:11
のがっちさんもコメントし難い記事に書きこんでくれてありがとうございました。
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かっきー
at 2007-01-08 13:16
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年末にねぎ吉でお互いのおばあちゃんの話をしたばかりでしたね。
草履を履かせようと手を出しかけたらピシャリ・・・ その時も、確かべっちーさんはそのお話をされてました。 お会いしたことは無いけれど、たぶん、ずっと忘れないと思います。
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dakkarayo at 2007-01-08 23:02
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うた会事務局
at 2007-01-08 23:37
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かおりん
at 2007-01-08 23:40
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dakkarayo at 2007-01-09 10:49
うた会事務局さん、かおりんさん
コメントありがとうございます。 104歳の大往生です。 悲しさというより淋しさですね。 淡々と進んだお式でしたが 最後に出棺直前 斎場の方が 「それでは故人様とのお別れでございます」と言い 流れた音楽は・・・三線の音 「涙そうそう」でした。 家族いっせいにこっち見ました(笑)
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MAGI
at 2007-01-09 11:18
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お祖母様のご冥福をお祈りいたします。
それにしても、104才 おばあ~~アッパレと言ってあげたい。 「気丈」も長生きのひとつのようですよっ ワタシの知り合いも、去年の暮れに「107才」でした。 いつも、会うと「はい!あやかれ~~」といって自分の長寿を おあやかりなさいと握手をしてくれました。 おばあのお茶目なとこは、片方は握手しながら片方でつねるの ですよねっ、んで一言「やむさに」 ・・・・全く、憎らしいですが・・・憎めないおばあでした。
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べっちー
at 2007-01-09 13:11
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takarin
at 2007-01-10 19:36
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お祖母さまの御冥福をお祈り申し上げます。
2日ほど前に、人頭税廃止の年を確認したばかりでした。 きっと背筋を伸ばして時代を生きてこられたのでしょうね。 僕は、年末に従兄弟を亡くしました。 子供の頃、かわいがってもらった人だったので、 何とも言えない気持ちです。 べっちーさんも、きっと、一緒に過ごされた4年間のことを、 思われているのでしょうね。
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dakkarayo at 2007-01-10 22:35
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