仏像愛好家(ぶつらー)であることは
これまでもこのブログで再々書いてきた。
HPには「ぶつらー」のページがある事は知る人のみ知ることである。
そんなぶつらーではあるが
実は聖徳太子のファンである事は知られていない。
別に宣伝したわけでもないので当たり前の話だが・・・
聖徳太子はその実像(実在の人物であれば)以上に
平安時代の末法思想吹き荒れる中
作り上げられた太子信仰がほとんどそのイメージの核となっているようだ。
あの親鸞ですら六角堂での太子の夢告は
その頃流行った太子信仰に影響を受けていないとは言い切れないだろう。
その時代に描かれた絵伝の数々が天王寺公園の中にある
大阪市立美術館で「聖徳太子 ゆかりの名宝」として開催中である。
たいした仏像は展示されてはいないが
聖徳太子ファンとしては、これは見なければと思っていたところ
ようやく先日訪れることが出来た。
開催の目玉は 叡福寺の7幅の太子絵伝。
ひとつの絵伝にいくつかの太子の違った年齢の姿が描かれている。
これらを見るだけで太子の一生がわかる仕組みだ。
いくつかの史実といくつかの伝説が混ざり合って
一枚の絵に描かれている。
違う寺の所蔵している絵伝を見ても
よく似た構図で描かれているのは
何か原本があってそれを模写して伝えられてきたからだろう。
それにしても
2歳で「南無仏」と言ってから50歳で亡くなるまで
この時代でこれだけ細かく人生を描かれている人はちょっと珍しい。
もちろんそれが本当かどうかは全くの別問題であるが。
2階の展示を見た後は
1階の展示場に移動する。
ようやくここには仏像たちがいくつか展示されていて
中心になるのは野中寺の弥勒菩薩半跏思惟像である。
毎月18日しか公開されない野中寺の半跏思惟像が見放題。
それも寺だと厨司に納められて見ずらいところが
ガラスケースに収められているとはいえ
上からライトを浴びて背中も丸見え
薬師寺の日光月光菩薩に比べたら小~さな背中だけどね。
それにしても聖徳太子は人気がある。
会場内は結構な人出でスムーズに見るのが困難なくらいだった。
「聖徳太子 ゆかりの名宝」は6月8日まで。
近頃、心が尖っているのなら
太子のこの言葉を思い出すことにしよう。
和を以って貴しと為す。